サッカーニュースの翻訳・意訳・超訳。
過去~現在の記事をググっては訳するメモ帳兼ドイツ語練習帳。

主な取り扱いは
Bayer Leverkusen
Borussia Dortmund
Schalke 04       
ドイツ代表        など。

2014年8月12日火曜日

クローゼが代表でのキャリアを終了  Miroslav Klose

2014年8月 DFB.deの記事 “Klose beendet Laufbahn in der Nationalmannschaft
(http://www.dfb.de/news/de/d-nationalmannschaft/klose-beendet-laufbahn-in-der-nationalmannschaft/61548.html)

クローゼのコメント抜粋

"Mit dem Titel in Brasilien hat sich für mich ein Kindheitstraum erfüllt.
Ich bin stolz und glücklich, dass ich diesen großen Erfolg für den deutschen Fußball mitgestalten durfte. Ich hatte eine einmalige, wunderschöne Zeit und viele unvergessliche Momente in der Nationalmannschaft.
Die letzten Wochen habe ich genutzt, mir diese Momente noch einmal bewusst zu machen und sie zu genießen. Für mich kann es keinen schöneren Zeitpunkt geben, um das Kapitel Nationalmannschaft zu beschließen.
Der Erfolg des Teams stand und steht für mich immer an oberster Stelle. Mit der Nationalmannschaft habe ich unser großes Ziel erreicht, ein Ziel, das wir gemeinsam mit dem Team hatten. 
Ich habe aber auch Ziele erreicht, die ich mir persönlich gesteckt habe.
Wer mich kennt, der weiß, dass ich sehr ehrgeizig bin. Ich bin Stürmer - und die Aufgabe eines Stürmers ist es, Tore zu schießen. Darum ging es mir nie um Rekorde, sondern stets darum, mein Bestes für das Team zu geben.
Als Stürmer bin ich immer auch von meinen Mitspielern abhängig. Deswegen geht ein ganz großes Dankeschön an meine Kollegen aus der Nationalmannschaft, ohne deren Zuspiele ich nicht so erfolgreich hätte sein können.
Bedanken möchte ich mich auch beim DFB, seinem Präsidenten, allen Mitgliedern des Teams hinter dem Team, bei allen Fans unserer Mannschaft und natürlich bei den drei Bundestrainern, mit denen ich in den 13 Jahren zusammen arbeiten durfte.
Ganz besonders natürlich bei Joachim Löw, der mir immer absolutes Vertrauen entgegengebracht hat. Diesen gegenseitigen höchsten Respekt und die Wertschätzung habe ich auch in unseren Gesprächen in den letzten Tagen gespürt. Dass unsere Zusammenarbeit nun mit dem Gewinn des Titel endet, ist großartig."

ブラジルで勝ち取ったタイトルは私にとって子供の頃からの夢だった。
ドイツサッカーにおけるこの偉大な成功を共に成し遂げられたことを、私は誇りに、そして幸運に思う。
ドイツ代表で私は、特別で素晴らしい時間を、多くの忘れがたい瞬間を過ごしてきた。
ここ数週間、そうしたひと時をもう一度思い返したり味わったりした。代表でのキャリアについての決定を下すには、私にとってこれ以上良い時は無いだろう。
チームの成功が常に私にとって最も優先すべきものであった。ドイツ代表と共に、私はひとつの目標を、共にタイトルを獲るという我々の大きな目標を成し遂げた。
そして私自身もまた、個人として目指していたものを遂げた。
私を知る人は、私が野心的だと知っているだろう。私はFWだ、そしてFWの仕事とは、ゴールすることだ。なので私にとっては単に記録ではなく、チームのために最善を尽くした証として残っている。
FWとしての私はまた、常に仲間の選手の助けを借りてばかりいた。大きな大きな感謝をドイツ代表の私の仲間たちへ、彼らのパス無しではこんなにも大きな成功を収められていなかっただろう。
それから、DFBと理事の方々、チームを支えてくれた全チームスタッフ、代表のファンの皆さんへの感謝を。もちろん、13年間共に仕事をさせてくれた3人の監督たちへも。
私にいつも完全な信頼を寄せてくれたヨアヒム・レーヴへは当然ながら格別に。今日までの話し合いの中でも私への最高のリスペクトと尊重を感じた。今日ここに我々が共にしてきたことが勝ち取ったタイトルとして結実していることは、素晴らしいことだ

2014年7月27日日曜日

妨げられた世界王者   Lars Bender

2014年7月 ksta.deの記事 “Der verhinderte Weltmeister
http://www.ksta.de/bayer-04-leverkusen/-lars-bender-der-verhinderte-weltmeister-,15189374,27916134.html


 2014年ワールドカップブラジル大会、ラース・ベンダーは直前合宿中の怪我により出場を逃した。自らを世界王者と見なしておらず、思ってもいない。新シーズンの開幕までに回復が間に合うかどうか、それすらまだ不明だ。

 ラース・ベンダーは世界王者だ。いずれにしろ、マヌエル・ノイアーが言ったように彼もそう考えなければならない。しかし、ベンダーはただ首を振るのだった。「いいや、僕は間違いなく世界王者じゃないし、そうだと感じることもない」

 ここのところそのことは厄介な問題として彼の心に引っ掛かり、それについて話すこともまた難しいのだと、見ていても聞いていても明らかだった。本来ならこの25歳はブラジルでのワールドカップ決勝にドイツ代表のメンバーとして召集されていたはずなのだ。本来ならば。

 だが全ては様変わりしてしまった。522日、南チロルでのDFBのトレーニングキャンプでのことだ。その日二度目の練習メニュー中、第三者からは問題なく見えたのだが、ホッフェンハイムのケヴィン・フォランドと競り合った末にベンダーは痛々しげにピッチに倒れこんだ。医師の診断結果は、右大腿部二頭筋の筋肉及び腱の複雑な損傷という、重いもの。ラース・ベンダーにとってのワールドカップとは、たったこれだけだった。
「フットボールには競り合いがつきものだ、何ら咎め立てるようなことじゃない。ただ、タイミングが酷く悪かっただけで」
 今の彼はこう言うのだった。

 それから、彼のフットボール人生の中でおそらく最悪の日々がやって来た。はじめの34週間、彼はまともに動くことすらかなわず、自分で移動するにも車に乗るのにも苦労しなければならなかった。
「僕はまさしく、寝たきりだった。でもそれはまだ最悪のことじゃなかった。最悪だったのは、全身くまなく、その先まで、頭がワールドカップへと神経を使わせたせいで、いつも強張ったような気持ちでいたことだ」
 彼にとってはテレビで試合を見るのも辛かったというのも、不思議ではない。
「トーナメントを追おうだなんて気には全然なれなかった。もちろんドイツの試合は見たけど、楽なことじゃなかった。そこにいたはずの自分をどうしても見出そうとしてしまうからね」

 決勝戦を、他の多くのドイツ国民同様、彼もまた自宅のテレビの前で試合を見守っていた。
「本当に嬉しかった。あの場にいたひとりひとり、そしてチームに関わったあらゆる人々が成し遂げたんだ、よくやったよ。みんなのタイトルを祝いたい」
 現在もまだ、少しばかりの間を置きながらベンダーはこう話す。

 そして、その時は来た。マヌエル・ノイアーは試合後初めてのコメントで、怪我のために代表を去らなくてはならなかった仲間たちについて思いを巡らした。
「僕の心には今ベンダー兄弟やマルコ・ロイスがいる。彼らだってチャンピオンなんだ」
 その時まだピッチの上に立ちながら、代表のゴールキーパーはそう言った。
 自宅で、ラース・ベンダーは息詰まってしまった。
「とても有り難かったよ。マヌエル・ノイアーはゴールキーパーとしてだけじゃなく、間違いなく人間としても世界一素晴らしいってことが表れていたと思う」
 このバイエル・レバークーゼンの選手はまた、深い悲しみのなかにもいた。
「でもマヌがああ言ってくれたのは、本当に信じ難いくらいのことだった」

 おそらく、ラース・ベンダーは複数のポジションでの適性があるため、守備的MF(決勝戦において負傷欠場したケディラの代役であるとか)や右SB(レーヴの考えではもともとラームを6番においていた)として出場していただろうし、ブラジルでプレーした時間が数分のみに留まるなどということにはならなかったはずだ。
「今はもう、僕は4年間待つしかないんだ。でも、それまでに何が起こるかなんて誰にも分からない」
 何者かが彼の心を傷付けるかもしれない。彼の言葉は少しだけ運命に身を任せたようでもあった。いずれにせよ、彼にしてみればドイツ代表での将来について現段階で問うことは全くもって有り得ないことだった。
「それについて今何か話すのは本当に馬鹿げている。まず、僕はちゃんと立ち直らなきゃいけない。それに、弱った自分の状態を元に戻さないと」

 そのために、KaprunZell am Seeにあるレバークーゼンの練習場でここ数日、彼は復帰に向けた個人練習に取り組んでいる。8月第4週目の週末、ブンデスリーガの開幕までに彼がWerkselfのスタメンに名を連ねるかどうか、まだはっきりと予想することは出来ない。
「毎日少しずつ前に進みながら、やれる限りのことをしているところだ。自分に無駄なプレッシャーをかけるつもりは無いけどね」
 この男は知ってしまっている、あらゆることが起こりうるのだということを。




*****
超訳多めです。
2年後、そして4年後に代表で彼のプレーが見れますように。

2014年7月24日木曜日

「次世代への責任」  Philipp Lahm

2014年7月 DFB.deの記事 “ Lahm: "Verantwortung für nächste Generation" 
(http://www.dfb.de/news/de/d-nationalmannschaft/lahm-verantwortung-fuer-naechste-generation/61021.html)


ラーム:「次世代への責任」

 世界王者のフィリップ・ラームは、突然の代表引退の後にある種の重荷から解放された。「僕が一年のうちに経験した極端と言える経験」、彼はそれを通し、「競技スポーツに身をやつすのは止そうと思った。僕の人生は僕のものだ。僕自身も僕のキャリアもこの先成功させていこうとするのなら、自分の人生は自分で決めなければならないんだ。つまり、決断するんだ、それに迫られる前に」ラームはZeit誌の中でそう述べた。
「この決断を誇りに思っている。僕はただ選手としての自分の仕事に全力で身を捧げることができる、フィリップの扱いは簡単にはいかないだろうけど」

バイエルン・ミュンヘンとドイツ代表のキャプテンは代表戦113キャップを経験し、ワールドカップブラジル大会での優勝をもって、代表でのキャリアを終えた。ラームは「時が来た」のだと感じた。
「僕の人生と代表を刷新するためにね。今ではもう、責任を担うべき次の世代がいる。なかには僕より89歳も年下の選手がいて、彼らは彼らのなかでリーダーを見つけ、リスペクトし、支えあっていきながら、まだ成長していかなければならない」

運命がくれた贈り物

今、彼はこう思っている。
「あとはもうバイエルン・ミュンヘンのキャプテンとしてリーダーシップを執ることに集中するだけになった。もちろん、身を退くに相応しく、タイトルを勝ち取れたことは天からの贈り物だったけれど」、ラームはさらに続けて、「もし優勝を経て凱旋出来なかったとしても、どちらにせよ引退は決めていたんだ」

 競争あるスポーツの世界で生きる選手として、「うまくいかないこともあると、常にきっぱり理解しておくことが、最高のところでのバランス取りを成功させるんだ。」
そのため、2012年におけるチャンピオンズリーグ決勝での敗北は「僕のキャリアの中でも忘れない、最も影響された一戦だ」とラームは述べた。我々は常にその手のなかにあるのだ、「運命のね。たいていのことは、まさに幸運だっただけでもある。だんだんと、僕は受け入れるようになっていったんだ。挫折もその一部であること、そして自分の行いについて謙虚であることを」

2014年5月4日日曜日

「バラックは助言をくれる」  Lars Bender



 ハインケスは時に際立って彼を賞賛する。
「ラースは走力と優れた技術があり、規律を守る。プレーするときは常に何の問題もない」

 ラース・ベンダーは13ヶ月前に正式にBayerにやってきた。この守備的MFは素晴らしい状態にあるが、U21代表の彼はまた、ポジション争いの激しさも分かっている。トップレベルの(Platzhirsch 交尾場で最強の雄鹿)バラックとロルフェスがチームに戻り、ヴィダルが輝きを放つなか、ライナルツやバリッチュも控えている。
 しかしなおベンダーは大胆でいて、かつ自覚もしている。
僕はこういった状況を前にして逃げ出すようなタイプじゃない。昨季よりもっと出場機会を増やして、次のステップへ進みたいんだ」

 Rosenheim生まれの青年は自分をバラック・ロルフェスの代役だとは考えていない。
「いや、本気で競争相手になっているんだ」
 バラックに対しても彼は本気だ。
「練習初日から僕は彼に心から敬意を表したよ。13歳の頃から知ってるんだ、TVの中でプレーしている選手だった彼をね。でも共にプレーすることへの不安は無い。一緒にプレーできて光栄だよ、僕に大事なアドバイスをくれる。ごく普通にやり取りしてるよ」

 彼は毎日BVBでプレーする弟とも電話している。スポーツの面ではこのようになっているが、彼がEbertplatz(Köln)にひとり暮らししていることだけが惜しい。
「恋人のガブリエラはまだ故郷でAusbildungをしているところだから。冬には彼女がこっちに来てくれるといいなと思ってるんだ!たのしみだよ!」

「スヴェンが恋しい」  Lars Bender

2009年7月のBildの記事 “Lars gibt zu: Ich vermisse Sven!” 
http://www.bild.de/sport/fussball/bruder/lars-bender-vermisst-seinen-bruder-9051922.bild.html



ラースは認めた、「スヴェンが恋しいよ」

「ひとり、たったひとり……」そう叫んでいるのは、Polarkreis 18のメガヒット曲の一節。

 ひとりの獅子にもそれが言えそうだ。いつものように弟とではなく、今回の合宿ではMate Ghvinianidzeと相部屋している。
「僕にとっては全く新しいことで、奇妙な感じがする」U19ユーロの王者はそう語った。

 スヴェンのドルトムント移籍の後、ラースは初めての「ひとり、たったひとり」の合宿参加をしている。
「もちろん、状況に自分を合わせたよ。そういう状況の時は、対処することを学ばなきゃいけないから」
 Mateとはうまくいっている、とラースは言う。しかし、こうも認めた。
「スヴェンが恋しいんだ、話し相手としても友人としても。これまでずっと、全部一緒にやってきたんだ。部屋は同じだったし、お互いに苛立ったことなんて一度も無いよ」

 そうした時は過ぎ去り、今では二人を繋ぐのは携帯電話のみ。
「僕らは毎日電話をしていて、もう既にスヴェンはドルトムントでとても居心地よく感じてるんだ。彼を快く迎えてくれたから」とラースは言う。彼にとって特に嬉しいことは、スヴェンがドルトムントで22番を与えられたことだ――ベンダー兄弟の二人ともが、この先同じ背番号をつけることになる。

 ラースにとってはこれもまた明らかなことだが、彼のユニフォームには「Bender」とだけではなく、これからも「L. Bender」と表記される。
「慣れてるし、僕にはそれが合ってるって思ってる」

 スヴェンなしのラース――単身だけの異常事態ではない。ベンダーはTSVミュンヘンでの最後のシーズンを過ごしている。来季、彼はレバークーゼンでプレーするのだ。
「難しい決断だったんだ、ここにずっと居たから。でも、いつもブンデスリーガを夢見ていたし、レバークーゼンでなら次のステップに進むことができると僕は確信しているんだ」

 TSVとの対戦について、「昇格出来たら素晴らしいことだ。僕は全力を尽くすし、そうすれば僕らはやり遂げられる」

 「ひとり、たったひとりの」ラース――しかしそれも長くはない。U20ワールドカップエジプト大会(予選の相手はアメリカ・韓国・カメルーン)のため925日から1026日までの間、彼はまた弟と同じチームでプレーする。彼らの目標は、優勝だ。ラースは言う。
「僕らは良いチャンスを手にしてる」

 再び一緒になるのだ、ひとりひとりではなく。